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意外と平穏無事だったバブル崩壊後の生活

華やかすぎるほど華やかだったバブル期の新入社員時代が終わりを告げ、しばらくしてバブルが崩壊します。

しかし、これといったクライアントの大型倒産も無く、車内留保金もしっかり貯まっていた我が社は、バブルの直撃を受けることなく、割と平穏無事なバブル崩壊を迎えました。

会社側の堅実経営のおかげで、他社のような悲惨なバブル崩壊は免れることとなりました。この時ほど経営陣に感謝したことはありません。

さすがにバブルど真ん中時代のような放埒なお金の使い方をする人はもういなくなりましたが、それほど社員の給料に影響もなく、平穏無事にバブルの崩壊を迎えることができました。

社員や上司達は、相変わらず同じ北新地のラウンジやクラブで遊ぶ人も割と多くいたくらいで、我々の生活にもこれといった大きな変化もなく、安心して生活することができました。

さすがに会社は危機感を感じたのでしょう。ボーナスの額は二ヶ月分位減りましたが、経営側と組合のひどい衝突も無く、私達もおとなしくバブル崩壊を受け入れました。

相変わらず同じ程度の人数の新入社員が毎年入社してきますし、私も一年一年と仕事を覚え、気がついたらいっぱしの先輩社員になっていました。

その頃には、新人当時のキツいアパートを抜け出し、郊外の住宅街へ引っ越しもして、落ち着いたサラリーマン生活を送っていました。

貯金も出来ていたので、先輩社員と一緒に休暇を取ってハワイに行ったり、ニューヨークへ演劇を観に行ったりしていましたから、余裕が無かったわけではないですね。

他の広告代理店では、バブル崩壊はかなりの騒動で、会社の合併が相次いだのもこの頃です。羽振りの良かった他社の先輩達の顔色が急にわるくなっていったのもこの頃でしたね。

大学の同期で、不動産関係の会社に進んだ人達はちょっとヒサンでした。
バブルの直撃をくらって、会社が無くなったりした者もいたくらいです。

他社がそんな状況だったのにも拘わらず、会社の労働組合は、会社側に給料のベアアップを要求してたりしてましたから、今にして思えばのんびりした状況だったように思います。

私の年齢も二十代の後半にさしかかってましたから、さあそろそろ家庭でも持って、落ち着くところへ落ち着くべき年頃になってきていました。

突然だった田舎からの電話

そんな頃です。田舎の母親から頻繁に電話がかかるようになったのは。

私の父親は、私の幼い頃に病気で亡くなっております。
二歳年上の姉が一人いるのですが、姉も結婚で大阪に住んでおり、田舎の家には母親一人が10年近く一人暮らししている状態でした。

その母親が、体の具合がわるい。田舎に帰ってきて欲しい。と毎晩のように私に電話をかけてくるようになったのです。

最初は話を真に受けず、適当にあしらっていたのですが、さすがに毎晩電話がかかってくるとこちらも心配になってきます。

会社の状態も良く、私は本当に悩んだのですが、結局折れ、会社を辞めて田舎に帰ることに決めたのです。

この決断は未だに正しかったのか、間違っていたのか、自分でも答えを出すことができません。今にして思えば、大阪に居を構えて、母親を呼ぶことも出来たはずです。

しかし、田舎が結構好きだった私は、安易に退職して、田舎に帰ることを決意しました。

こうして、楽しかった大阪の広告代理店時代は終わりを迎えたのでした。

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管理人の就職浪人時代

私は楽しかった大阪の広告代理店を辞め、田舎に帰ることにしました。 大阪での送別会は、人を替え店を替え、毎日毎晩続きました。 みな、私の帰郷を寂しがってくれて、盛大に送別会を開いてくれました。
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