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私の転職体験談・田舎の広告代理店時代(1)

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そして田舎の広告代理店へ

結局また浪人に戻ってしまいました・・・というところで、話が飛んでしまってましたね。

とにかくまた浪人に戻り、就職活動をすることになりました。

とは言っても、手に職は無く、Macが扱えることとWEB制作ができること以外に役に立たない三十代前半の男に、多くの就職口はありません。

当時はまだ、WEB制作なんて何の武器にもならなかったのです。

結局、以前スカウトしてきてくれていた隣町の広告代理店(とは名ばかりの印刷屋さん)に拾ってもらうことになります。

最初の面接相手は、いち営業マンの青年です。以前広告代理店に勤めていたという肩書きと、Macが扱えるというだけの武器で、ほぼ内定のような返事をもらいました。

面接会場は、隣町の喫茶店で待ち合わせです。

「Macとインターネットを駆使して、会社にMac革命を起こそう。」

と熱く口説かれたのを覚えています。その会社は、Macを使ってるには使ってるのですが、まだ全社的に採用になっておらず、版下製作は従来通り紙で行っている状態でした。 会社の拠点は三つあり、三つの拠点をISDNで結んで、全社にMacを導入しよう、というのが彼の主張でした。

とある役員と約束を交わしており、この案は通る。通った暁には私に牽引役を任せたい、というありがたいといえばありがたいお話でした。
既にこの時点で内定をもらっていたようなものです。

「案外あっさり決まったな。」

きつねにつままれたような感触で、彼との面談を終え、家路に着きました。

そして、次はいきなり役員面接です。

例のISDNとMac推進派の役員さんと面談です。彼は私の履歴書を一瞥した程度で、

「では、いついつから来てもらうからヨロシク。」

と言ったきりで、簡単に採用が決定しました。

あっさり入社、そして馬車馬のように働く仕事の毎日

いざ会社に入社してみると、それはもう大変な忙しさで、戸惑っている暇もないといった感じでした。

会社は絵に描いたような同族会社で、広告代理店が一つ、印刷会社が二つ、と三つの会社が同時に稼働していました。

同族会社にありがちな弊害も存分に見受けられましたが、私には関係ないや、と高みの見物を決め込みました。

私は入社当日になぜか三種類の名刺を渡され、三つの会社の社員として働くように、という不思議な命令を受け、働くことになりました。

聞いてみると、どの社員も三つの会社の名刺を持っており、クライアント毎にそれぞれに使い分け、それぞれの社員として働くという器用なことをやっていました。

これも創業者一族の命令なので、逆らうことはできません。

面接は「広告代理店の企画営業」として受けたのに、所属は子会社の印刷会社の社員という採用でした。

私はなんだか納得いかないまま、三つの名刺を持ちながら、メインは輪転機を使った印刷会社の社員として忙しく動き回りました。

Macは何台かあったので、そのうちの一台を使わせてもらうことになり、一応約束は果たしてもらいました。

しかし全社的には紙の版下で印刷物を作っており、まだMac導入の過渡期を迎えつつあるという程度で、全社的に使っていこうという気分にはなっていない感じでした。

事実、まだMacは本格的に導入されておらず、紙の版下と輪転機がメインで稼働している状態です。私の田舎のほとんどの広告会社がまだそんな時代でしたから、私も特に気にも留めず、自分のできることを必死に遂行して働いていました。

(いずれ、例のISDNとMac推進派が革命を起こしていくんだろう・・)

くらいに思って、目の前の仕事をこなしていきました。

仕事はほぼ印刷物の制作です。
私は大阪の広告代理店時代から、印刷物の制作は慣れていたので、忙しさに必死になりながらもなんとか仕事をこなしました。

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田舎の広告代理店時代(2)

この会社は、まあとにかく忙しく、休日は思うように取れず、給料は雀の涙。 残業も多かったのですが、残業代は「営業手当」として一律金額が決まっており、いくら働いても同じ給料という、はっきり言ってグレーなシステムでした。
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